第3回新東の供食設備史

 新東電鉄の特急では2020年代の現在でも車内販売や売店、供食設備の営業が行われています。今回はその供食設備についての話です。

 

前史~東京群馬鉄道の伊香保特急について

 新東電鉄の主要路線で最も早く運転を開始した優等列車は戦前の東京群馬鉄道全通のころから運転を開始した池袋(1972年に新宿延長)と伊香保温泉を結ぶ温泉急行列車でした。

新潟線は全通しておらず、特に新潟県および、山形県と宮城県の路線は別の私鉄でした。

この温泉急行は小田急での週末温泉急行と同様主要駅に停車しながら伊香保温泉を目指す列車です。

この時はまだ車内販売は載っておらず乗る前に買うか停車時間中に駅弁売りを捕まえるかという感じでした。 

1936年になって省線(鉄道省)での車内販売の実施を受け東京群馬鉄道でも車内販売を実施するようになりました。

 戦後の1962年に専用特急車両が新製されますがこの時も車両に車内販売準備室が設置された程度で東京の私鉄有料特急では東武鉄道のDRCや小田急電鉄のロマンスカーに比べると地味でした。

ビュッフェがないのでサービスの上では国鉄の気動車急行と変わりませんでした。

この状態は新東になってから、1983年まで続きました。

新潟線全通により食堂車に参入

 これまで伊香保まで車内販売だけの特急が往復していた形だった新東特急ですが大きな変化が生じることになります。

新潟線長岡ーと伊香保線渋川をつなぐ高速新線を作り、東京と新潟を結ぶ都市間特急を走らせることになったからです。

それが現在の上越です。

この上越では新東電鉄として初めて供食設備を連結した特急車両です。

 

 

連結した理由としては在来線時代のときより速くなっているものの、依然として食堂車

が必要な所要時間であったこと、新幹線でも供食設備を連結しており競合する新東特急としてもこれが必要であるからです。

そのために製造されたのが300系特急車両で京成のAEの雰囲気を持つ車両ですが食堂車に関してはライバル国鉄の485系を参考にした車両です。

 

 

 食堂車の要員は主に新潟で持っているたホテルと新東百貨店の大食堂部門から募集しました。

特に調理を担当するコックは新東のグループのなかで確保できるのはここしかなかったからです。

外部事業者に委託する方法は既存の各社はすべて国鉄と契約をしており、ライバルとなる新東特急で営業を行うことは考えられません。

車内販売営業部署もこの時に食堂車要員や車内清掃担当加えた形で新しい子会社である「新東サービス(のちの新東トレインサービス)」が設立され車内販売、食堂車の営業、清掃、リネンサプライと車内サービスをこの会社が行うことになりました。

日本の食堂車の運営の源流は多くはホテルか戦前の洋食店ですが新東だけは百貨店の大食堂を源流に持っています。 

 1983年3月改正での運転開始当初の食堂車は東海道山陽新幹線と九州方面寝台特急レベルのハンバーグ、和定食を中心に一品料理を提供するものでした。前年に開通したライバルである上越新幹線ではカレー、牛丼など軽食が中心であったのに対し、上越は本格的な食事を提供するので、山手線西側の利用以外にも食堂車で食事をしたいから利用する例も見られました。

83年から85年までは本格的な食堂車を東京―新潟間で使う場合は新東の上越か1往復ながら残っていた青森行きの鳥海に乗るかということになりますが本数の多い新東特急を選ぶことが多かったです。

83年以降の新東電鉄首都圏の有料特急を運行している大手私鉄各社の中でも指折りの充実したサービスを提供する会社となりました。

1989年のメニュー改定で現在のあおばの食堂車でも提供されているサーロインステーキが加わりました。

 

400系投入によって食堂車がいったん終焉を迎える

 2000年ダイヤ改正から400系が導入されるようになり新東の食堂車はいったん姿を消すことになります。

300系は160㎞/h運転を行うため消耗が激しいことライバルの新幹線に新車が登場するようになり、

これを置き換える必要があったからです。

そのために作られた車両が400系です。

 400系では食堂車の利用が減ったことにに売店に置き換えることになりました。

400系の売店は半室に設けれれており100系G編成のカフェテリアをベースにJR在来線サイズの

車内の半室に収めた形です。

駅弁やパック詰めの総菜類、お土産品、飲み物などをショーケースに並べて販売する形です。

 

この売店はワゴン販売の基地も兼ねています。

3月改正ですべての特急を一挙に置き換える手法ではなく一時間帯で置き換えの車両増備の関係から残存しており、その車両が置き換えられるまでは営業を続けるという方法を取りました。

この時期は現在のあおばと上越のように食堂車と売店がともに営業を行っていました。

2000年11月に置き換え増備が完了し臨時のさようなら300系上越号でも食堂車営業が行われ

この列車をもって新東の食堂車営業はいったん歴史に幕を下ろすことになりました。

 

食堂車廃止以後の新東特急は、ワゴンと売店を主力とした車内サービスを行うことになりました。

2001年からの2年間は平行する新幹線ではまだビュッフェが残存していたため

軽食を食べるために新幹線を利用するケースがありました。

しかしこのビュッフェも02年に姿を消し新幹線も一部の車両に残る売店だけとなりました。

売店もG編成のカフェテリアをベースとした400系は在来線サイズとはいえ半室という大きなスペースがありそれを生かして品ぞろえも豊富です。

食堂車の復活と越奧線全通

 2000年以降、売店中心のサービスだった新東特急ですが再び食堂車の営業が行われることになりました。20X年に越奧線が開通し新宿仙台間の長距離特急を運転する計画があり実現したからです。

仙台特急(仮称現在のあおば)はダイレクトに仙台を目指す東北新幹線とは違い、新宿から山形と新潟を通る遠回りルートであることから旅行を楽しむ列車であること、一度大宮に行かないといけない群馬県からの需要の取り込みで乗客を獲得する列車となりました。

そのため食堂車は旅を楽しむための設備としてどうしても外せない存在です。

そのあおば用として作られたのが500系です。

 

500系はこれまでの300系と大きく違う車両となりました

全面形状が新幹線よりとなり、食堂車、個室、デラックスシートという豪華な内装の車両です。

特に食堂車とデラックスシート・個室は2階建てとなりかつての100系X編成を彷彿とさせます。

その食堂車は2階に40名分の座席があり下に調理室という形で眺望のよい車両となっています。

2013年3月この500系を使用してあおばが運転を開始しました。

復活した食堂車は洋食セット2つ和食セット1つの食事系とアラカルトと昔の上越の食堂車メニューと構成はあまり変わりませんでしたがこれは予約不要で注文できます。

和食セットには刺身が入っており、昼行列車ではグランドひかりの玄界灘御膳以来となります。

新幹線の食堂車がなくなって以来、日本の食堂車はあおば運転開始まで北海道方面寝台特急のみとなりました。

その食堂車は夕食時間帯は予約制なのでこれを除くと日本で唯一予約不要で乗れる食堂車となりました。

また昼行列車でも唯一の存在です。

そのため日本唯一の昼行特急の食堂車に乗ろうということで鉄道ファンが乗車することもあります。

昨今はグルメ系の列車も出てきていますが一般の特急ではこの列車だけです。

 

 現在新東特急の供食設備は上越系は売店、あおばは食堂車という形になっています。

160KM/Hのほかに並行する各交通機関よりも充実した車内サービスによって集客しています。

特に現在はJR東日本での車内販売の大幅縮小によって新東に乗ったほうがサービスが充実しています。

供食設備は日々乗客への車内サービスの提供という重要な役割を果たしています。